字引的書物

旅行中に読んだ『1995年以後 次世代建築家の語る現代の都市と建築』(藤村龍至/TEAM ROUNDABOUT:編著 エクスナレッジ 2009)の感想を、少し時間があいてしまったけれど書いておきたいと思います。

■全体の印象
この本の最大の特徴は、すでに多くの人がいろいろなところで書いているけれど、32組もの若手建築家・研究者のインタビューが掲載されていることと言える。それらを出生年という物差しに則ってパラレルに並べられているので、読者はこの本のどこからスタートしてもいいし、いつ前のページに戻ってもいい。その自由な選択性が最大の利点である。しかし一方で、32組もの多くのインタビューが掲載されているため、ひとつひとつのインタビューの多くがなんとなく尻切れとんぼに終わってしまっているのが残念。議論が上辺だけを撫で続けて終わってしまっているものもいくつか散見された。さらに気になったのは、多くのインタビュイーが東浩紀らの言説をそのまま引用していること。たしかに彼らの言葉は的確でありキャッチーであると思うし、僕自身東浩紀大塚英志の読み物は好きだけれど、建築家という職業のクリエイターとしての立場から考えると、はたして彼らの言説をこうも鵜呑みに引用していいものなのかという疑問が残る。
ここでは掲載された32組のインタビューの中から、印象に残ったもの3組に絞って、簡単に感想を述べておきます。

■田中浩也/TANAKA Hiroya
個人的に最も深い議論がされていたもののひとつであるとともに、最も共感するポイントが多かった。特に「創作の主題と社会の問題解決の違い」の項では、建築家の唱える都市論とその建築家の実践、つまり建築作品との間に以前から感じていた乖離を端的に指摘している。そもそもアトリエ系(特に中小規模のアトリエ)建築家の中で都市論と自らの創作との間に生じるスケールの乖離について明確に説明できている人はいないのはないだろうか。話はずれるが、田中さんの「アルゴルズム的に世界を観察して感受するということと、それをかたちに展開するというフェーズは全然別のことで、短絡的にかたちにするいう感性が結構に台無しにしていると思うんです」という主張には激しく同意。

■勝矢武之/KATSUYA Takeyuki
組織設計事務所の立場から述べられた資本主義との関わり方についての議論は興味深い。特に資本主義に対する建築家の「乗るか/降りるか」というスタンスの選択についての話は非常に的を得ているように思える。けれども果たして「降りる」というスタンスを選択することがマスターベーション以上の建築家としての立場を見いだすことができるのかは僕としては疑問に思う。前にもこのブログで書いたが「建築家が目指している建築」と「資本主義が目指している建築」は全く乖離してしまっているものではなく、それぞれの敷地への投影の位相が異なっているだけだと僕は思うし、その投影段階での建築家と資本主義のせめぎ合いにその建築家としてのスタンスを問われているのではないだろうか。ちなみに勝矢さんの話は非常に明解なのだが、東浩紀語録があまりに多様されているところはどうしても気になってしまう。

中村拓志/NAKAMURA Hiroshi
資本主義・商業主義との関わり方が最もうまいと思われる建築家の一人が中村さんである。「商業主義の流れのなかで建築をつくっていく時に、それに負けちゃうのでもなく、否定するのでもなく、柔道や合気道みたいに、相手の力を上手く利用して面白いものを作りたいと思います」と本人が言っているように、彼のつくる建築は強引な論理を導入することなく、クライアントの要求つまりは資本主義・商業主義に回答している。一方で、資本主義・商業主義をコンセプトレベルにまで昇華させていることで、出来上がった建築は建築家としてつくりたい形態が実現されている。つまり建築家とクライアント双方にとって幸せな関係がそこには出来上がっているのである。中村拓志という建築家のスタイルは、建築の完成形に現れるのではなく、その設計プロセスに現れるのだ。これはこの情報化社会の中での設計スタイルとして注目すべきじゃないかと思う。